今日は穀潰し

穀潰しにならないように頑張ります。パン派です。

自分の睡眠欲が食欲なら、曙なんて目じゃない

先日友人と2泊3日の旅行に行ってきたのだが、そこで少し話になったのが、自分が寝すぎる問題だった。

 

普段の授業や電車の中でも良くなるのだが、それは夜更かしをしてるだとかで完全に自分の不摂生な部分がある。ただ、こと旅行というイベントにおいてはその最中に眠くなってしまうことを言及されるのはいささか反論したくなってしまう。

それは同じ時間に寝て同じ時間に起きているのに、日中食後とかに眠くなってしまうのはどうしようもないじゃないか、ということだ。

個人的には、この睡眠と気力に関する構造はすごくほかのもので置き換えにくいと感じている。

たとえば持久走では、生活環境が同じような人同士が競い合っても、それは元来の筋肉や体質によって有利不利がすごく如実に表れるものだと思う。もちろん短距離じゃなく持久走だから気力でカバーできる部分があるかもしれないけど、遅いことのすべてをメンタルの問題だと言って責め咎められるのは不憫に思う。

たとえば勉強では、同じ時間だけ勉強していてもそこにはやはり差ができるわけで、持論ではそれは地頭に加えその時にどれだけ頭をフル稼働しているかというところに依存してくるものだと思う。だから勉強ができていないのは半分以上はその人の怠惰だと考えている。

 

ここで睡眠の問題はというと、睡眠はどこまで自分でコントロールが及ぶのかという問題だ。自分の考えでは、睡眠は抗えない欲。欲という言葉にはそぐわないほどに強力な生理現象だと思う。もうこれはうんこと尿を我慢できないのと同じレベルだと思う。ある程度まではそりゃあ許容が効くけども、それ以上になるともはや気力の問題とかじゃないんじゃないか。ほんとにやばかったらスラダンの一ノ倉でも漏らす。それくらい食欲睡眠欲と同等に語るべきじゃないレベルだと思ってる。

これを普段の生活で人と会ってるときに寝てしまおうもんならそれは激昂されても然るべき。「だからさっきトイレ行っとけばよかったじゃーん」って言われたらぐうの音も出ない。ただ、同じものを食べて同じものを飲んで同じタイミングでトイレに行って、それでもなお漏らしてしまったなら、、それはその人の体質だ、許してはくれないだろうか。

 

 

だからこそやっぱり自分の膀胱のキャパは把握しておくべきだし、その上で頻繁にトイレに行っとけって言われたらそれもまたぐうの音も出ないのだけれども、それより先にそいつの膀胱のキャパの小ささに憐憫の情を抱いてあげてくれないだろうか。というお話でした。

 

しばらくトイレに行けないのに水4リットルくらい一気飲みして漏らしまくった件があってそれは反省してます。(これたとえね!?)