アプリはアップデートするのに日常生活はアップデートしていかないのか?
みなさんはスマホアプリのアップデートは頻繁にしているだろうか。僕は先日やっとiosのアップデートを行って、それからアプリも一通りアップデートしたところだが、普段は割と頻繁にアップデートしているつもりだ。やはりその会社の人たちが切磋琢磨していいサービスを作ろうとしているのだ、新しい機能やUIは早速導入していきたいというのが僕のスタイル。
アップデートにバグはつきもの
ただ時折アップデートして変なバグがあるアプリもある。そんなときにレビューを見てみると、
「アップデート画面がおかしいから、削除して再インストールしたら、ログインできないし、いい加減にしろ」
「まだアプリを開かないと通知が来ないバグ…改善してね~の?改善する気ね~の?いいかげんにしろよ こんなんじゃみんな○○から離れて行くわ~」
といったレビューを書いている人達がたまにいる。
お前何様なんだ?と言いたい。無料で使ってるくせにどの立場で物を言ってるんだこいつらは。だったらお前が使わなければいいだけの話だろ。そうやって悪いサービスは淘汰されていくんだろ。お前が依存してるのが悪いだろ。勝手に離れていけよ。と。
それでも僕らはアップデートし続ける
こんなアップデートによる不具合という痛い目を見ておきながらも彼らはまだアップデート情報が更新されるたびにアップデートすることだろう。今のままアップデートしなければ正常に動作しているにも関わらず、そのリスクをとってまで新しいものを取り入れようとしているのだろうか。
ひとはそうまでしてより良いもの新しいものを取り入れたいという願望があるのだろうか。
ここで僕らの日常について省みてみる。
今日の僕は昨日の僕からアップデートしているんだろうか。
バグは修正できているんだろうか。
僕が言及したいのは、成長しているかどうかということではない。むしろ小さなバグを修正できているのかどうかということを言いたい。
勉強や仕事をやっていてインプットアウトプットの量が増えればそれは当然成長につながる。そういう意味では日々成長していない人はあまりいないだろうと思う。が、日常でのもっと細かなところは日々試行錯誤して改善を重ねているだろうか。
「肌がカサつくから、洗顔の方法や洗顔料を変えてみた。化粧水のつけ方やメーカーを変えてみた。その結果どうだったか。良くなって言ったらどんどん取り入れていく。」
「電車の中でニュースをチェックするのか本を読むのか、目的地についてからもう片方をやるとしたとき、どちらが効率的だろうか。」
「よく噛んで食べた時と、あまり噛まないで急いで食べた時と、食後の眠気に対して違いはあるのか?どちらが結果的に効率的なのか。」
こういった一見どちらでもそう変わらなさそうな選択は日常の中でたくさんあるが、その善し悪しを一つ一つ吟味したことはあまりなかったかもしれない。
こうしたA/Bテストのようなものを繰り返していくことで無駄のないスマートな日常を送れるのではないかと信じている。それがたとえ1分2分の違いしか生み出さないとしても、それらを積み重ねることで時間の貴重さをより感じることができるのではないか。