今日は穀潰し

穀潰しにならないように頑張ります。パン派です。

「人は○○じゃないよ」なんて信じない

「人は見た目じゃないよ」

「人は学歴じゃないよ」

こんな言葉を聞いたことがないだろうか。

そこそこの年齢を生きてきた人なら必ずこの言葉を聞いたことがあるはずだ。

そのたび僕は、いやそれお前が言うかあ?と思ってしまう。

 

 

往々にしてこういうことを言う人はそれを”持っている”人である。

すなわち、「人は見た目じゃないよ」という人はイケメン、美女だし、「人は学歴じゃないよ」という人は高学歴の人である。

たしかに、それを持たざる人が言ってしまえば、ただの負け犬の遠吠え負け惜しみになってしまうから、持たざる者が言うよりは持ちし者が言う方が理にかなっているかも知れない。

だがやはりどこか腑に落ちない状況である。

 

その答えは”初めから持っている”からだと思う。

「見た目じゃないよ」という人は生まれてこのかたイケメン美女でやってきているし、「学歴じゃないよ」という人は生まれてこのかた勉強には苦労してこなかった人だ。

 

つまりこちら側の、持たざる者の世界を知らないのである。

持ちし者の間では常識になっていることが、持たざる者を含めた世間一般からしたらそれは常識ではないことなんて往々にしてある。

 

最初から美女に生まれてきた人は、異性に話しかければいいリアクションが返ってくるというのが常識になっている。実際に世間では何かしらのメリットがなければ話してはくれないものではないか。それが美女の場合は目の保養的な、最初から一役乗っている状態なわけで何もなくても上がれる。しかし一般人では何かしらの役を持っていないと厳しいわけだ。

これは以前にも言及したことに似ている。

 

komekui.hatenablog.com

 

高学歴メンズに関してもそうだ。高学歴メンズは往々にしていい高校を出ていい大学に進む。高校の友達もいい大学に行く。結果として周りには高学歴な奴らが揃い、その中で価値観が形成されていく。中には高校を出て働く人もいるだろうが、上位大学に行く人達の高校でそんな人はほぼ皆無だろう。だから、分母の取り方を間違える。自分と同じ高校を出て、その中でレベルの低い大学に行った人を最底辺として統計を取りがちになる。だからせいぜい低くても、大学は出ているレベルだったりする。その前提の上で学歴なんて関係ないという論を講じる。

 

 

だから信じられない。少なくとも自分が持たざる者である間は。

実際にそれが重要じゃないよとわかるのは、自分がそれを得てからでしかない。

自分にないものをはたから見ている限り、それが本当に必要ないだなんていうことはできない。

その言葉を信じることができるのは、それを獲得してきた人の言葉のみだ。

「ブスだったけど整形して美人になった、でも実際関係なかった。」

「低学歴だったけど頑張って高学歴になったでも関係なかった。」

こんな人の言葉だけしか信じることができない。

だけどそんな人あまりいない。

 

 

甘言を弄する人を盲信できない限り、やはり持たざる者は愚直にそれを獲得していくしかないんじゃないかな。

 

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