ブログとリアルと絡めるかという問題~僕の前世は水嶋ヒロかもしれない
ブログをはじめるようになって、ほかの人のブログをよく見るようになった。
ブログというのは面白いもので、十人十色の個性を感じることができる。
現実で10人の人にあってもこんなには個性を感じることはできないだろう。
それがブログの特性であると思っている。すなわち、ブログは個人の価値観を強めて発信するものであると思っているからだ。
ブログは価値観と偏見のかたまり
ブログは価値観と偏見の塊だと考えている。もちろん実際には偏見のような考え方はなく、ニュートラルな考えのできる人であっても、ひとたびそれをブログで発信しようと思ったら、どちらかのサイドに寄せて論を展開しなくてはならないからだ。
イケダハヤトさんの記事でもこんな言及があった。↓
なにかの論を展開するときは、もちろん例外的なことが存在することは理解しているが、それをいちいち「~~です。ただし、○○ということもありますので一概には言えませんね。」だなんて論調で話していたら、「そりゃそうだろ」なんてツッコミしか来ない。保険をかけている人間の文章なんか見たくもないと。
そういう意味で、ブログではその個人の価値観のうちのある側面しか垣間見ることができない。(ただし、様々な観点から包括的にものを言っている人もいるので一概には言えませんね。)
リアルの関係を気にしていたら本音は書けない
と思う。
特に
ここらへんのエントリは僕の経験上あまり人に言うことは好ましくない。しかしながら実際にはこういうところが僕がこのブログを書く主たるテーマであったりもする。
中身で評価されたいという水嶋ヒロ的思惑
水嶋ヒロが変な名前で小説を書いて賞をもらったらしいが、水嶋ヒロという外側で評価されるのではなく、中身で評価されて、実はヒロでした~ってことをやりたかったんだろう。
僕もそれをやりたい。
だから別に個人が特定される情報を隠しているということは全くないのだが、むしろこのブログをリアルの知り合いが発見したらすぐにこれあいつだなって予想つくくらいのテイストにはしてあるが、あえてそれを自分から発表することもしない。ましてや実名でブログを書いてFacebookに投稿するということも自分はしない。
ただ、Facebookで拡散しようとしたらそれなりに知り合いには読まれて、PVは増えるんだろうなとは思う。だがそれと同時に、そこまでして、自分の名前を出してまで自ら拡散しにかかるほど恥ずかしくない内容なのかということにも自信がもてない。
傍目でFacebookで拡散勢を羨みながらも、「俺はこっちの道を進むぞ、今のうちせいぜいちやほやされていろ」という、魚住が高校入学当初もてはやされていた時の赤木みたいな野心を持っている。というとカッコよくなるかな?