今日は穀潰し

穀潰しにならないように頑張ります。パン派です。

人見知りする老人を考えてみた

先日なにかの番組でご長寿の方々の集まりを取材しているシーンがあった。

60超えのおじいちゃんおばあちゃんが公民館みたいなところに集まって楽器の演奏をしている(聞いている)シーンだった。

誰も彼もみんな仲が良さそうで、ふと「この人たちの間で確執とかあるのかな???」と疑問に思った。

 

ジジババになってもなおあいつは嫌いだあいつはうざいとかあるのだろうか?イメージとしてはもうジジババ世代になったらそんなことは考えないんじゃないかと思う。なんかわからないが、そういう絵が想像できない。

どこぞの女子会みたいに「あいつキモくなーい?」「わかるわかるー!」みたいな会話がなされていることが想像できない。だとしたらそもそもジジババたちはなんの話をして日々を過ごしているのだろうか。正直それすらも想像できない。

集会デビューで人見知りをするか

ただひとつ考えてみたことで、ジジババの集会があるとして、定年を超えて会社を引退して集会デビューを果たすときに、自分は果たして人見知りをするのだろうかと気になる。

平生の自分ならば、もうすでに出来上がっているコミュニティに飛び込む際には必ず人見知りをする。みんなが0からのスタートの状態ならば気にならないが、出来上がってしまっているところに飛び込むのは難しい。だから最初からは溶け込めない。

しかしなぜだろう。ジジイになった自分なら、どうも平然と打ち解けられる気がするのだ。これは相手もまたジジイだからだろうか。それとも自分がジジイであることの要因のほうが大きいのだろうか。おそらく両者だ。想像するに、ジジイになった自分そして周りはお酒がちょっと入っている状態みたいに感じるんではないか。加齢することが酔うことの役割を果たすような気がする。

でもこれは完全にイメージ。よく芸人が「小さい頃にもう大人になったら一人でシコシコすることなんてないと思ってたけど、普通にするね」って言ってる構図と同じなのかもしれない。そもそも今20を超えた年齢になった自分だが、高校の時から大人になったという自覚はあまりない。そういう緩やかなグラデーションの中で変化を近くするのは難しいけど、それでも客観的に見たら成長はしているなとも思う。

まとまりがないが、今の自分の特性というのは若い自分ゆえに抱える性質であるものも少なくないように感じる。ジジイになってもそう感じるか?と考えてみると、不思議と100%でyesと言えるものは少ないものだなあ。

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