僕はもう正論など言わない……ようにしたい
先日youtubeを見ていて、この動画が目に入った
ここで初めて文字上だけじゃないノエル君を垣間見たわけだが、一言で感想を言うならば、クソガキやな、だった。
コメント欄を見てみても、なんやこのクソガキ、屁理屈野郎コメントが散見された。
クソガキやなって思うと同時に僕の小学校中学校時代が思い出された。
クラブのお母さん方に嫌われていた小学生
小学校から地元のミニバスに所属していた僕だが、当時はそこまで意識していなかったが、今になって当時の友達からよくその友達の母親に嫌われていた談を聞く。それはイジりでもあるが、ほとんどものを深く考えていないで行動していた小学生時代に母親達に嫌われていたというのはいささかこたえる。
当時はお母様方に嫌われているなど夢にも思っていなかったが、最近になってそりゃあ嫌われても文句言えないかもしれない。と思うようになれた。そして件のノエル君を見て、あぁこういうことか、とようやく真に理解できたのだった。
正論?屁理屈?
当時の僕は、何かにつけては反抗、批判、自己の正当化をしていたと思う。
幸い(あいにく)口は回る方だったし、誰かに論破されて「むぐぅ…」となることもなかったように思う。何か諭されても、「それは違うでしょ、○○だったら○○じゃん」などと、様々な論を展開していた気がする。
話し合い、議論をしていて自分が折れた思い出は今思い返してみると、驚くことに一つもない。
当時は、「別に自分は決して弁が立つというわけではない。ただただ正しいことであるから、どう流れても自分の正しさは実証されるんや。さすがに白いものを黒と認めさせることはできないよ。」と思っていた。
中にはそれは屁理屈だよという人がいて「正論で反論できないから屁理屈というのはずるいだろ、屁理屈と正論の違いってなんだよ!」って思っていた。
正論であるほど危うい
正論に違いほど、自分の確信は強くなっていき、強い態度で話を展開するようになる。意地でも認めない。
正しいことを言われたら人は素直に納得するかというと、そんなことはまるでない。
むしろより一層意地になるだけで、解決には結びつかない。
それでも、依然として正論なのだからと、こちらの態度は変えない。
これはよくない。
どっちでもいい
正論であるか、間違っているかなんてどうでもいい。
ようやく今になって一つ言えることは、正論を言うことが常に正しいというわけではないということだ。
関連の動画で、ノエル君が新宿で警察に職質されて警察署まで連れて行かれちゃう動画があった。
ここでもノエル君は正論かもしれないことを言っている。
署まで同行を願われても、「任意ですよね?じゃあ拒否します」と毅然とした態度をとるわけだが、結局はパトカーに押し込められて連れて行かれてしまった。
これを見て、正論なんて意味がないという確信が強まった。
正論を言っても結局連れて行かれて損をしている。
だったらもう滅私して素直に帰らせてもらえる方法を取った方がいい。
リアリストとして結果を第一に考えていく生き方を目指していく僕はもう正論は言わないようにしたい。と思った。
まとめ
正論を言うことが常に正しいとは限らない。←これは正論