M-1決勝戦見たけどみんな間違えすぎ…
昨日ご存知M-1グランプリが行われ、いろいろ波乱万丈奇想天外があったわけだが
大のお笑い好きであるはずの僕は今年初めての感情を抱いた。
「みんな間違えすぎじゃない?」
正直自分でもびっくりした。
なんでこんな事を思うのか。
間違えてるとは、ネタを噛むとかスッ飛ばすとかそんなことじゃない。
ボケのことをなぜか間違えだと認識してしまう。
ボケるのは当たり前なのだが、なぜだろうこうも連続で見てしまうと、なんか「もうふざけるなよ~わざと間違えるんじゃねえよ。絶対わざとじゃん。わかってるじゃんホントは。」って思ってしまう。
すぐ間違えるじゃんあいつら。これでもかってくらいすぐ間違えて、その間違えるのをツッコミの人はわかってて、それでいて突っ込んで、ウケをもらう。なんだかそんな構図が急にバカバカしく思えてしまったんだ。
自作自演。
まさにこれだ、自作自演感を強く感じてしまったのだ。
コントだったら、それも込の”お芝居”としてみることができるけども、漫才というべしゃり形式のお笑いではなんだか本当にこの感覚が拭えない。
自作自演乙~とかも思ってしまう。自作自演なのは当たり前でそりゃそうなんだが…
本当ならそんな自作自演感を出すことなく、めっちゃおしゃれな服なのに、「テキトーにベッドの上にあったやつ着てきたわ~」っていうスタンスを出して欲しいのだ。しかし現実にはめちゃめちゃきっちり着込んできて「それ絶対クリーニング出して前日の夜も家で着てみて予行演習してきたやーん」みたいなきっちりしたオシャレ着を着てきちゃう感じ。
たぶんこれは立て続けにいろんなネタを見すぎたせいだと思う。
勉強の合間にちょっとyoutubeで漫才を見るくらいだったらいいと思うし、テレビでやってるネタ番組みたいに、漫才があったり、コントがあったり、歌ネタがあったり、そういうふうにバラエティに富んだ魅せ方をしてくれたら多分こうはならないはずなんだ。
ただ、一つのネタの中にボケがたくさんあったり、その種類がおんなじだったりすると、一辺倒だなあって思ってしまう。0歳児の赤ちゃんの前で紙をビリビリに破いて見せると爆笑すると知って、それを何回も繰り返す父親みたいに感じてしまう。とくにジャルジャルのネタなんてそうだ。2つやったネタが全く構成同じだったし、そのネタの中でも全部笑いの取り方が一緒だった。
ジャルジャルはコントだとすごい面白いのに、いろんな設定や面白さがあるのに、漫才になるとどうしてこうも一辺倒になってしまうのだろうか。残念でしょうがない。
もしかしたら卒論に追われていてすごくメンタルが疲れていたのかもしれないな