そろそろ旅行行ったときにお土産買ってくるシステムやめにしません?
どうも、お土産買わないブロガーのkomekuiです。
お土産不要論についてです。
旅行のお土産、「まったく買わない」人はわずか1% アンケート結果 - @nifty何でも調査団
この記事によると、お土産をほとんど買わない人というのは、10%以下だそうで、みなさんおみやげ大好きなんですねー
パッケージ剥いたら、同じでしょ?
アメリカに行って、アメリカのブランドが本国だと安いから買ってきただとか、本当にその地域でしか買えないもの、売ってないものだったら買う価値はあると思うんです。
ただ、日本国内だったらほとんどどの地域に行っても正直そこで売ってるものはどこでも手に入るものだったりする。
とくに箱に入ってるお菓子系。
あんなもんただのパッケージの仕様が変わってるだけじゃないけ!?
12個入り780円(税込)とかのおかし、あんなもんちょっと上等なブルボンの焼き菓子と同じじゃないのけ?
嬉しいは嬉しいよ?
いや、嬉しいんだよ?
研究室とか、バイト先に誰かが旅行に行ったお土産が置いてあってご自由にお取りくださいシステムで置いてあったら。
ただね、僕たちからしてみたら
「それ、ただのお菓子だから!!」
お菓子以外の何物でもないから!!
これが沖縄のお土産だろうが、パリのお土産だろうが、ただのお菓子に過ぎないから!!
だから、いわゆるその土地のブランド料みたいなものにお金を取られているくらいなら、ホワイトロリータとルーベラとエリーゼをたくさん買ってきてくれたほうがうれしいんだよなァ!?
まぁ待て待て、反論があるのはわかる
お土産=旅行行ってきましたアピール
要は、そのお菓子のおいしさ自体で評価するのではなく、沖縄のお菓子=沖縄旅行行ってきたんだーというエピソードも含めて評価するというのだろう?
そのための足掛かりとしてのお土産なんだろう?
たしかに自分からどこどこ行ってきたんだよーっていう話を藪から棒にするのはそれこそちょっと野暮かもしれない。
だからこそその口実としての”お土産”なのだろう。
そう言われてみれば、お土産買わない勢の僕はどこどこに行ってきたんだよー話をする時の枕として方言がうつるというまどろっこしいボケをする必要があった。
大阪に行ったときは
「もうどないせえっちゅう話やで」
「ほんまあいついてこましたろかーおもたわ」
とかエセ関西弁を使って、
「ねぇ、それなんなの?」
っていわれて
「あぁ、先日大阪行ったさかい、関西弁がうつってもうたんやな、堪忍なァ」
という工程を経てやっとこさ旅行話をすることができる。
アメリカに行ったときは、会話の節々に
「Uh-huh.」
とか
「Let me see~」
とかを入れ込んで
「ちょっと、それなんかむかつくんだけど?」
って言われてから
「あぁ、この相槌のことか、先日アメリカ行ってきたさかいに、英語が染み込んでもうたんやな、ホンマ堪忍やで」
って工程を踏んでから旅行話を何とか始めることができていた。
書いてるうちにちょっと揺らいできました。
たしかにこのくそ面倒臭いかつウザがられる工程を一発で飛ばせると思えば、自ら旅行話をおおっぴらにできる大義名分を与えてくれるお土産というシステムも悪くないのかもしれない。