造語とともにブログのタイトル変えてみました
ブログのタイトルを「米食いブログ」から「エゴリアリストの米食いブログ」に変えてみた。変えたというかエゴリアリストのを付け加えただけだけども。
人はなりたい自分にしかなれない
先日、苫米地英人崇拝の2chまとめ記事を読んで、家に苫米地さんの本が眠ってないか探してみたところ、この本が見つかった。
残り97%の脳の使い方【セミナーCD付】 ~人生を思い通りにする!「脳と心」を洗う2つの方法~
- 作者: 苫米地英人
- 出版社/メーカー: フォレスト出版
- 発売日: 2008/11/12
- メディア: 単行本
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ちなみにそのスレッドはこちら
この本で自分が一番刺激を受けたのは、人はなりたい自分、イメージする自分以上にはならないというものだった。
タイガーウッズが最終ホールでスコアが並んでいる相手より先にカップに入れて、相手が外せば優勝するという場面で本気で入れ!と思っていたそうな。
はずせ!と思うことで、相手が外さなくては自分は優勝できないと自分に言っているようなことで、そんなメンタルの人間だったらあそこまで大成していないらしい。
一例を上げるとこんな感じだ。なろうとする自分にしかならない。ということは今までも自分も考えていたことだったが、それを改めて科学的視点から考えさせられた。
僕がなりたい自分ってなんだろ
その上でなりたい自分とはなんなのかを考えてみたところ、「究極のリアリスト」かなあと。
ただのリアリストではない、究極のリアリストになりたい。
加えてリアリストでありながらかつ、エゴイストでありたい。
というよりはリアリストが故にエゴイストという表現だろうか。
僕は基本的な考えとしては性悪説を肯定するし、人間は基本的にはエゴな人間ではないかと思ってもいる。
ただそこに、どのくらいリアリストとしての考えと行動を兼ね備えているかということで他人想いに見られるか、世間一般で言うエゴイスト=自己中に見られるかだと思う。
エゴイストの性質は誰しもが兼ね備えている
リアリストではない人→目先の自分の利益を優先し、嫌われる。結果最終的な利益は小さくなる。
リアリスト→目先の利益は捨て、人に好かれる。結果最終的な利益は大きくなる。
こういうことだと思う。
詳しくはこの記事にも少し書いてみた。
僕はエゴイストという人間の性質を前提とし、そのなかでどう生きていくか、リアリストとして最終的に自分が幸せになる生き方をしていきたいと思い、このタイトルにしてみた次第だ。
ただあまりこういう考えは一般ウケは良くないかもしれない。性善説の立場に立って考える方が世間体はいいのかもしれない。本物のリアリストならばこの考えすらも表に出さないのだろうか…?
まだまだエゴリアリストへの道は遠いのかもしれない。