今年の目標宣言はえてしてパフォーマンスになりがち
今年もようやく長年の準備期間を経て始まったわけだけども、僕たち私たち一般人からしてみたら、今年というのは毎年やってくる個性のないものですよね。それに対して僕ら個々人が勝手にさまざまなイベントを練りこんだりして、個性のある1年にしていくという寸法になってるんですよ。かき氷のシロップかけていく的なノリで。毎年出てくる”今年”というのは金太郎飴のように切っても切っても同じものが出てくるのが本質ではないだろうかとおもうんですね。
今年は今年しかやってこない?
今年にやってくる今年は前々からスタンバイしていて、満を持してのこの今年なんですよ。蝉の幼虫が長い土の中での生活を終えて1週間の成虫の期間を得るかのように、様々な僕たちの今までの行動、考えが集約されたのが今年であるわけですかね。
今年の目標はパフォーマンス化してしまう!
みんな一様にしてやれ今年の目標やら去年の振り返りをしていくこのシーズンだけども、自分にとっての目標宣言は、ある意味でのパフォーマンス的な意味合いを持ってしまうんですね。
本来のパフォーマンスは、その宣言を達成することで成し遂げられるものなはずなのに、僕の場合はもはや宣言すること自体がパフォーマンスになってしまうわけです。
もう亀田興毅ばりのパフォーマーですよ僕なんて。
もう試合前の会見での挑発とマイクパフォーマンスで仕事完了ですキリッ
特に一般的に難易度が高いものであればあるほどその傾向は強まってしまうんですね。たとえば「トライアスロン完走する」であったり、「本を年間500冊読む」であったり、「ジム通いになってからだをバキバキに鍛える」であったりです。
だって…
これらの目標ってなんかもう言ってるだけでかっこいいんですよ。
その界隈の住人感だせるんですよ簡単に。たとえばトライアスロンなんてのは、もう語ってるだけで、知ってるだけでちょっとかっこいいんですよ。実際に去年プールに行ったのは3回だけなんですけど、それでもちょっとやってる感は出せちゃうもんなんですね。
俺も昔やんちゃしてたな~そんな時代あったな~感を出せちゃうんですよね
なまじ結果出さなくても、周りに比較対象がいないからそれを評価してくる人たちもいないんですね。それゆえにさぼりがちになってしまうわけです。はい。
本当に達成したいものは誰にも言わない
たとえば今書いているこのブログとかは本当に続けたいと思っているわけなんですね。だからこそリアルの友達には一切言ってないんですね。言っちゃうことで、もうブログを書いているということが世間一般的には割と珍しいほうなので、それ自体がパフォーマンスになってしまうからです。
内藤大助選手パターンです。
あと恋愛心理学とかそういう系の本を読んでることもあまり言わないですね。あ、それは普通に恥ずかしいからか。
どうしたらいいんだろう…
難しいです。これは。これができたら苦労しないよって話なんですよね。
当面は、宣言すること自体は悪いことじゃないと思うんですね。
記録に残しておくのは有効だと思います。
なので、宣言したことを定期的に報告しなきゃいけない環境つくりができたらいいのかなって思いますね。うん。
今年の目標
ブログでの今年の目標を決めてみたいと思います。
今年の目標はぁー
月間pv数150万
月間収益100万
です。
といのは冗談として、今年はもっと記事数を減らして1つあたりの質を高めていきたいなと思います。
面白い×ためになるってのを目指してやってみようかと思います。
あ、ダメだ、これ完全に宣言パフォーマンスだわ