大学生だけどメディアクリエイター論争はおっさんを擁護する
最近この界隈でメディアクリエイター論争が起こっているみたいですね。
自分も参加したイベントのほんの些細な部分からこんなに議論を呼ぶものに展開するなんて、なんか感慨深いです。
あ、これですね↓
僕はいわゆるやぎろぐ周辺の人なのかも知れない。やぎろぐのオンラインサロンにも1ヶ月だけ入っていたし、それに当然大学生なわけですから。
しかし、心境としてはどちらかというと、おっさん側に肩入れしたくなる気持ちのほうが大きいのです。
おっさん達の気持ちはとてもよくわかる。
まず第一に実名でブログを書いているかどうか。
ここなんですよ、たぶん。ここにすべては集約されるんじゃないかと思うんですね。
僕も含め、おっさん達は実名でブログを書いている人はほとんどいないんですよ。それはなぜかっていうと、もちろん実名を晒すことに若い世代の方が抵抗がないというのもひとつの要因なのだろうけど、それ以上に晒したくない理由がある。
それはブログにもうひとつの自分の人格を求めているから。
僕の場合で言えば、ブログに書きたいことなんて、リアルでの体験を「俺の体験してきたことすげーだろ!みんなもやってみ!」っていうんでは全くなくて。
むしろリアルで言ったらおそらく引かれるだろうなってことをブログに書きたいんですよ。いわゆる膿出し的な意味も込めてのこのブログなんですね。
いうなれば、このブログはピッコロなんですよ。
僕本体は、良い自分もあるし、悪い自分も当然ある。いままではそれを惜しげもなくどちらも前面に押し出していたんですね。
でも実際悪い自分ってのは、それが本質であると同時にあまり外に出すべきではないことでもあると気づいたんですね。そこからこのブログを書き始めました。
そのおかげで、現実世界での僕は晴れて神様になることができ(願望)、一方でこのブログはピッコロになる道を歩んでいったんですね。
で、たぶんいままでのこのブログ界隈にはそういう人がほとんどだったと思うんですよ。
自分の書いているブログを自分の名前として明かせる公正明大な人なんてあんまりいなかったんじゃないかと。少なくとも自分はそうで。
それでも、このピッコロであるブログを承認してくれる人たちが現れてきて、ピッコロにもピッコロなりの意義っていうものが見つかってきた。それで自分のいい部分と悪い部分が共に認められたような気がしてきたんじゃないかって、そう思うんですね。
そこへ、この大学生ブロガーもとい大学生メディアクリエイターたちがズカズカとやってきた。
雨に打たれて今にも枯れそうな小さな花を一生懸命守って守って育ててきたのを、横から「お、綺麗な花咲いてんじゃん」といってむしり取られた感じ。
しかもそれは自分が鑑賞するためではなくて、売ってお金を得るため?
それとも、オタサーの姫とみんなで必死に囲って囲って、姫もようやくオタサーに馴染んできた矢先、ふらっとイベントで知り合ったイケメンリア充にかっさらわれる感じだろうか。
彼らおっさんたち(僕)も本当は柿の種なんかじゃなく、普通におにぎりが欲しかったんだ。
でも、おにぎりなんて持っていなかった。だから仕方なく柿の種を植えて、せっせこせっせこ水をあげていたんだ。
ところがどっこい、いざ柿の実がなってみたらおにぎり片手に猿たちが押し寄せてきた。「お、めっちゃ柿なってるじゃん」
いや、柿を盗まれることこそなかったものの、彼らもおにぎり片手に柿を育て始めた。そんな感じ?
おっさんたちは草食動物で、草しか食べられない。大学生メディアクリエイターたちは雑食で、草も肉もいける。
おっさん「ちょっとぉ!草なくなっちゃうからあんまり食べないでよ!君たちは肉も食べられるんだから」
若者「えー、だって草も美味しいんだもん。」
まとめ
後半たとえを言いたいだけみたいになっちゃいましたが、
とどのつまり、おっさんたち(僕)側は弱者なわけです。
いや、おっさんvs若者の構図というよりはむしろ、リア充vs非リア充(恋人いるいないとかそんなんじゃないよ?)の構図なんじゃないかって思うんですね。
それゆえに弱者は自分のテリトリーを侵されまいといま戦っているのではないかと思うんですね。
だからどうしろとかってことはないんですが、これはもうしょうがないじゃないかと思うんですね。コロンブスに見つかっちゃったら開拓されちゃう。
そんな感じ。
あ、メディアクリエイターって名前自体は僕もあんまりカッコ良くない思います、はい。