おまえは今まで剥がしたかさぶたの数をおぼえているのか?
最近どう?みんなかさぶた剥がしてる?
もう大人になってかさぶたを作ることなんてないなんて人ばっかりか
しばらくしたらかさぶたじゃなく身に覚えのない青たんができるようになるのかな
おーコワ
今日はかさぶた論について書いてみたいと思います。
かさぶたを剥がし続けて齢22
やっぱりかさぶたは剥がしたくなるのが本能。
あれは三大欲求に並ぶくらいの衝動だよね。
三大欲求たちがスラダンのスタメンだとしたら、かさぶた剥がしたい欲は小暮くらいの立ち位置なわけで
何も考えなかったら無意識に近いレベルでついつい剥がしてしまっているもの
そして、剥がしたら良くないって分かっていても、それでもなお剥がしてしまうもの。
結局剥がしてしまう人は、治りが遅くなったり、下手すりゃ治らないなんてこともあるわけで、意外と大変なものではあると思っている。
結論を急がないで欲しい
僕もこんなにかさぶたについて語りたいわけじゃないんだ
会話にもかさぶた的なものはあるんじゃないか
要するに、剥がしたい衝動に駆られるが、決して剥がしてはいけないもの。それがKASABUTAだ。
日常生活の中にも、ついつい言ってしまうような、言いたい衝動に駆られるが決して言ってはいけないものがあるのではないか。
先日のこと、友人と飴ちゃんの話をしていて、自動販売機みたいなパッケージの飴の話になった。
これのメンバーのビックルが話の中でちょろっとだけ顔を出した。本当にちょろっとだけだ。ドラマの撮影で言うならたぶん1000円握らされて帰らされるくらいのチョイ役でだ。
その後コンビニに行って、その時に「あ、さっき言ってたのこれだよね?」と言われた。
違うんだが、
違うんだが、
剥がしたいかさぶたを我慢して
「あーそうそう。」
そう言って次の話に移った。
もしかしたらこの時初めて僕はかさぶたを剥がさずにやり過ごしたのかもしれない。
本当に些細な、ほかの人からしたらどうでもいいようなことかもしれないが、ビックルとピルクルの違いに言及しない。これは自分の中では衝撃的な行動だった。
正しいものは正しいと言いたいたちの自分が、よもやこの違いについて言及しないとは考えてもみなかった。偉い人が白いものを黒といっても、「いや白でしょ」と言ってしまうような自分だったのに。だったのにだ。
この時初めて、今まで自分はどうでもいいことにこだわっていたのではないかという懸念が押し寄せてきた。
ビックルピルクルの件は明らかにどうでもいいと今はわかるが、自分がいままで拘泥していたものが他人からしたらさもビックルとピルクルの違いのごとくどうでもいいことであり、それを力説されているように感じていたのではないか。
だとしたらなんという一人相撲。
どうでもいいことで自分の正しさを証明して、さながら戦国無双でさも大将の首をとったかのように自分に浸っていたことに鳥肌が立ちそうになった。
この件で初めていままではがしてきていたものは、あれは”KASABUTA”という名前の、剥がしちゃいけないやつだったんだ~って知覚した。
…僕は今まで一体いくつのかさぶたをはがしてきたのだろう…
かさぶたを剥がさない人生
かさぶたを剥がさない人生を歩んでいきたい。
だってそれが一番治りが早いんだもの。
傷パワーパッドつけとこう