「灘→理Ⅲ」3兄弟の母とさかなクンの母、後者のほうが素敵に感じた話
灘→理Ⅲの3兄弟を育てた母親の教育論についての記事を見て、思ったことを記してみる。
記事のポイントは?
開成高校の人と話してて思ったこと
実はある折から開成高校の人と数時間遊んだことがあったのだが、そいつが結構やばいやつだった。別に勉強どうこうとか、開成どうこうとかの問題じゃなく、やばいやつだった。コミュニケーションが取れないような人間だった。多分それなりに頭はいいんだろうけど、こっちが何か言ったらすぐに反論するような、すごく面倒くさい人間で、「こんな人間にならないようにしよう」と思わせてくれた人だった。多分人との関わりが足りてない、なまじ開成に通っているから自分を理解しない他人が悪いんだって自分の中で解釈してしまっているんだろうなと感じた。
自分が考える問題点
それは2つあって、1つ目は勉強がすべてだというような価値観を持っている(植え付けている?)こと。開成高校の子の例のように、結局は人と人とのつながりが重要になってくる。そこの能力を欠いてはいくら頭が良くても大成しないと思う。だからデートの時間なり、友達とふざける時間も重要なものだと思う。それにその時間を無駄にしたくらいでダメになるくらいならその資格(東大理Ⅲに行く資格)はないんじゃないか、と思うわけだ。理科三類の人は1日数時間の勉強でも合格しちゃうようなポテンシャルを持っていないと、入ってから結局ついていけないって話だ。
2つ目に、本当に当人たちがやりたいことをさせているのかということ。3兄弟が灘を出て、まではいいとして全員が全員理三に進学しているのは(すごいことだけども)ネームバリュー重視というか、短絡的な感じがしてしまう。法律に興味がある人がいてもいいし、経済に興味がある人、物理に興味がある人がいてもいいはずなのに、全員が理三ってことは(完全に推測だけども)母親の洗脳なような気がする。それとも身内に大病を患っている人がいて、医者になるモチベーションが幼き頃より育まれていたというのだろうか。それならば納得できる。
それに対して、さかなクンの母親は
さかなくんの母親の教育方針として、息子が好きなものはとことん好きにやらせる。というもの。
トラック→妖怪→魚
と好きなものがどんどんと変化していったさかなクン、魚好きが高じて学校の成績が悪くなり先生に呼び出された時も「うちの子は絵が好きでお魚が好きなのでそれでいいんです」と言ったそうな。
放任主義でありながらも好きなことに熱中できる環境を作れるさかな母の方がよっぽど素敵だなと感じた。
それぞれ教育方針があるだろうけども、結局としては決めるのは自分頑張るのは自分。いつかは自立しなくちゃいけないんだなと思った話でした。
あ、ちなみにさかなクンに兄弟が居るかどうかは、ネットを見た限りわからないですね。