頑張らないのは精神が弱いからじゃなくシステムのせい論
そろそろ朝も冷え込む時期になってきて、おふとんから抜け出すのも段々と難しくなってきた。寒さに耐えられず今日も一発では起きられず二度寝をしてしまった。
果たしてこの原因は僕の精神が弱いということに帰着するのだろうか。
根性論はよろしくない
基本的に僕は自分に甘くできるところでは甘くしようと思っている。だから朝寒くて起きられないのは、これは僕のせいではない。完全に気温のせい。それを含めたシステムのせいなのだ。そう、全てはシステムが悪いのだ。言い換えれば環境。かのイケハヤのブログでは、人を非難するときはその人を責めるのではなく、”その人を容認している環境を責める”とある。
これと同様に僕が朝に起きられないのは、起きられない環境=システムのせいだと帰着させる。
システムのせいにすることで前向きに改善できる
この考え方を周りの人に言うとそれこそ非難されそうな気がする「お前は自分に甘いよ」「それはただの言い訳だよ」なんて。
でもそんな精神論が通用したのって一昔前までじゃないのか?
部活中に水を飲むなんて言語道断だった一昔前、実はそれが練習の効率を下げているという時代遅れなルールだったということに気がついたのも割と最近で、要はもう精神論はやめようっていう話だ。
精神論の話にしてしまうと
起きられなかった→精神が弱い→次回は気力で起きる→結局起きられない。
というわかりきったことが起こる。未来の自分なんて早々信用しないほうがいい。リポート今週末からやろうと思っても、結局やらない。締め切り前日までやらないのだ。過去の自分の期待には答えられない。
一方システムのせいにすると
起きられなかった→寒かったから→起きる10分前からエアコンをつけておこう→あったかーい→起きられる。
となる。これがたとえば、寒くもなんともないけどただただ眠かったから起きられなかった。ならば
起きられなかった→眠かったから→睡眠時間が足りなかった→早く寝られなかった→帰ってくるのが遅かった→コンビニで漫画を読んでいた
となれば、帰りが遅くなりそうな時はコンビニに寄るのは禁止という自分ルールを設定することで二の舞になることを防げるはず。
要するに精神論を唱える人は思考停止マン
こういった原因の分析によって、徐々に自分の生活をシステムを改善していくのが正しい方法だと思っている。
素数探しにも似ている。
勉強にしてもそうで、いくらやっても点数が上がらない人は精神論を唱え、もっと勉強時間が必要だ。睡眠時間を削って勉強しようなどという愚行に走りがちだ。そもそもの環境ややり方に問題があるということに目を向けない。
だと考えているが、成功しなきゃこんな論はゴミだ。成功してナンボだ。成功者は何を言っても正当化される。逆に成功してないものの論なんかはハイハイ、で一蹴される。
結局すべての自分の考えを裏付けるためにも成功が必要なのだね。と思う。この理論も成功して初めて正当化されるのだけれども。なんだこのマトリョーシカはーーーーーーー!
by米食い@餃子の王将